ドラッカー名言録50
「傲るな。企業は、「社会」に存在させていただいているものだ」
「企業はレンガやモーターの集団ではなくて生身の人間集団である」というドラッカーの言葉がある。
企業において、人々は1つのまとまった有機的な単位として働かなければならない。それ以外の働きは、考えられない。と同時に、自らの意志で、共同の目的を求めて働かなければならないことも事実であり、それゆえにこそ、共同の事業のために組織化されなければならない。
そこで、ドラッカーは「企業にとってまず必要なものは、効果的な協働への人間組織ということになる」と説く。
さらにまた、「もし、われわれ(いやしくも経営者であるからには)が、毎日、下している意思決定を実行するには、天なる神が与えてくれた時間では、あまりにも少なすぎるということだけを考えても、企業には、どうしても企業自体を人間組織として何とか永続させていく義務が課せられている」と主張するのである。
しかも、働いている間にたった1つの意思決定さえ達成すれば、それで万事終わりというわけにはいかない。全部が全部くだらないものであったとは必ずしも言えないにしても、この20年足らずの間に、いかに多くの意思決定が行われ、しかもうたかたのごとく消え去ったことであろうか、とドラッカーは慨嘆する。
意思決定のほとんどは、それが現実に効果を発揮し始めるまでに、少なくとも5年はかかる。しかも、これは短期目標の意思決定の場合である。この点についてもドラッカーは、「この種の意思決定がひとたび取り止めになり、効果を発揮しなくなり、完全に消滅するまでには、少なくとも10年や15年の歳月は必要である」と説く。企業は人間組織として永続させなければならないものであり、企業の平均寿命は、巷間30年とか40年などと言われるが、スタートした以上、個の人間の寿命よりも、脱皮しつつ、長く生き残さなければならないのである。
しかも、企業は社会と経済の中に存在するものであるという事実から、さらにもう1つの生存目標が生まれてくる。一般の経営教育や経営思想に接していると、ともすれば企業は一人、孤高の存在として生き続けていると思い込みがちだが、とんでもない。それは、企業をあくまでも内部からだけ眺めているからである。
しっかり外の社会と経済の動きに目配りしていないと、「この両者は、その気になりさえすれば、企業の1つや2つを握りつぶして、この世から抹消することなど、いとも簡単なことだ」という恐ろしい洞察を、われわれに提示する。
企業なんて、考えようによっては社会と経済の事情によって存在させていただいているものだから、「立派に任務を果たし、必要で有用、しかも生産的に仕事を続けていると社会と経済が信じてくれない限り、存在できないと感じよ」と、ドラッカーは引導を渡すのである。
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