ドラッカー名言録13
「学習を阻害するもの」
「学習は、学習するものが学ぶことによってのみなされる。学習は教師によってなされ得るものではない。教師はせいぜい学習の助けとなるだけで、むしろ学習の邪魔になることすらある」(『断絶の時代』より)。
知識時代の到来をいち早く説き、知識労働者へのシフトをいち早く見抜き、知識資本をいち早く重視することを唱道したドラッカーは、知識の根幹に関わる、学ぶことを昔から極めて重要なものと考えている。
しかも、マネジメントに関する最初の作品である『現代の経営』においても、成長も学習も本人の努力の結果であるから、自ら努力しない人々の進歩について、企業が責任を感じることほど馬鹿げたことはないとすら断定している。
そして、人的資源は他の資源と違って、外からはどうすることもできない・・・・・・という見地から、人間の発展や能力開発はいつも成長であり、しかも、こうした成長は内側から行われるものであるとする。
したがって、人間の携わる仕事は各個人の成長を促進し、また支援するものでなければならないと主張している。しかもそうした仕事についても、ドイツ語で書かれた唯一の論文集である『明日のための思想』の中で、「自分の仕事のほかに何も知らない人は、会社という立場からみても、決して成績のよい人間と言えぬ」と言っている。すなわち、自分の仕事以外には、何の生活にも関心を持たないようなときには成長できないとしているのである。
以上のドラッカーの言葉の端々から、@まず学習者当人の自覚と努力がなければ成り立たないこと、Aいわゆる勉強もいいが、仕事なり、所定の課題達成とリンクしたものでないと、個人的また職能的成長や自己開発もしにくいこと、Bしかも、いつものドラッカーの主張である“表の風”に吹かれ、狭い己の中に閉じ込もっていないこと、が成長と学習発展の要諦だとしていることがわかる。
九十歳の今日に至るまで、いわば“一匹狼”として、博覧強記、博学多識、博引旁証を保っている背後には、絶えず学び続ける努力が存在していることを自ら語ったものともいえる。
そして、人間とは行動すると同時に認識し、また習慣的に事を処理すると同時に内省し、というような両面を持っているが、この両者が合わさってこそ真の知識が形成されるという考えから、最近、はやっている、いわゆる現実から学ぶ「アクション・ラーニング」の基本を早くから説いていたともいえる。
さらにドラッカーは、学校教育についても、かねてから厳しい批判をしているが、落第に関して面白い見解を示している。すなわち、「落第は、いわば教育における品質管理の問題である」として、「現在、このテストに合格する学校や教師はほとんどいないといってよい」と厳しい論評をしている。
そして、言葉を続けて、「落第しないで学校にとどまっている者の大部分は、自ら望んで学校へ通っているのではなくて、親が、社会が、そう仕向けているから学校に通っているにすぎない」と極言までしている。
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