ドラッカー名言録14
「人間は単能マシーンではない」
その昔、人間機械論という議論がフランスの学者によって論じられたことがあった。それを受けてドラッカーは、「たとえ人間を純粋に機械であるとみなしても、人間は単脳の道具ではない」と反芻している。
人間の生産能力は、ある一つの作業だけに最大の能率を発揮することにあるのでなく、ほとんど無限ともいえる作業を組み合わせ、統合化することにあると主張したときの発言が、今号の表題である。
したがって、拙劣に設計された単能式の工作機械(マシーン・ツール)のように人間を使うなどというのは、人間をまことにもったいなく使っていることになり、非能率的に、不手際に使っているのだ・・・・・とドラッカーはいう。
そうして、早くから人間を資源としてみなしてきたドラッカーは、人間という資源の特性から、その独特な教育論に入っていく。すなわち、「人間の発展や能力開発は、他の資源と違って、最終的には外からは、どうすることもできないものである。人間のディベロップメントは、結局は成長であり、それも内からの成長である。だから、仕事も、仕事のさせ方も、こうした内から個人の成長を刺激し、誘発し、促進し、支援するものでなければいけない」と強調する。
ということは、内外で最近はやりはじめた「コーチング(直接指導)」「メンタリング(後見役活動)」の重要性を、すでに四五年も前から指摘していたことになる。そして、さらにおもしろい発言としては、この成長というものは、いついかなる場合においても本人の努力の結果であるとし、したがって自ら努力しない人の進歩や発達について、組織や企業が責任を感じるなんて、全くもってナンセンス!だと論じていることである。
また、人間の多能性・可塑性を信じるドラッカーは、自分の仕事のほかに何も知らないような人間は、会社や組織という観点からみても、決して成績のいい人間とはいえないと断じる。というのは、自分の仕事以外にはなんの生活にも関心を持たないような人間には、肝心の成長ができないからである。
しかもドラッカーは、成長に時間がかかること、非常に時間を消費するものであるうえに、人間は時間を浪費するので、ことさら大変であると指摘する。
人間の多種多様な事柄を成し遂げ得る能力に着目し、一種の多目的道具とまで考えるドラッカーは、その持つ大きな潜在力を生産的に活用するには、どうしても「集中」が不可欠になるとして、有名な集中論、焦点絞り論を、うるさいほど力説するのである。
そして人間を社会や組織のための特定の資源として創造しなかったのは、神様の深いおぼしめしが、その簡単な理由だと、ちょっぴりユーモラスに片目をつぶって語るのである。
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