ドラッカー名言録55
「最初はダメでも何度でもやり直せという態度は誤りである」
これは、かねてからドラッカーが口を酸っぱくして説いている警告である。
同じ内容について別な場所でドラッカーは、「経営者の我(エゴ)への投資」と呼んだり、「ひとりよがりの投資製品」とも称している。
とにかく、それは必ず当たるはず≠セったのが、やってみると当たらなかった製品のことである。
経営者が、あまりにも勢い込んで勇み足をして、多くの金と技術を投資したために、なかなか後には引けず、現実を直視し得ない製品のことである。
しかも、こうした製品は「悪女の深情」ではないが、「盗人に追い銭」のように、大事な資源を次々と注入する弊≠ェ伴いやすい。
アメリカでのこの古典的≠ナ教科書的≠ネ例として、今日でも必ず引かれるのが、フォードの「エドセル(Edsel、エゼル)」の例である。
その失敗の第1原因は、消費者がそれまでのような階層構造毎に一定のパターンの車を購入するやり方を変えていたのに、相も変わらず古い消費傾向に基づいた(前年のリサーチ・データを基に)車を作っていたことにある。
第2は、顧客志向を表向きは謳いながらも、実はこのブランド・ネームそのものが、フォードを継ぐはずだった長男の名を冠した弔い合戦≠ニいう自己・自社中心の志向を反映していたこと。したがって、提供者側中心のメーカーのプッシュ志向の象徴とも言える製品であったことが挙げられる。
第3は、確かにアメリカの大衆は、そのスタイルとデザインを好んでいたが、肝心の大衆(新中間層以下)が少しも買おうとしなかったのに、「来年こそは、必ずや当たる」という甘い予想を性懲りもなく重ねていたことだ。
こうしたトップの思い入れのために、その主たる資源の管理者、技術者、営業担当者が、皆、この半失敗製品のために犠牲にされたと、ドラッカーは酷評する。
しかも、会社の中で、何らかの点で抜きんでた人間が現れると、この「病める赤ん坊」のお守りにつかされるとの愚考≠重ねていたとする。
発表から25年経って、ようやくこの車の生産が停止された時には、「フォードの大事なエネルギーを全部、食いつぶしていた」とドラッカーの指弾は厳しかった。
そして、この事例から経営者のひとりよがりの投資態度のもたらす恐ろしさがよく学べる。
これは「成功すべきだ」とか、「その持つ質のよさに相応しいだけ売れるべきだ」などの考え方の虜にならず、敢然と捨て去る勇気を持つことが肝要だとドラッカーは指摘している。
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