ドラッカー名言録63
「コストも「社会現象」の1つである。企業経営の大きな成果は、少数の社員がもたらす」
そもそも企業活動について、それが自然現象や天然現象ではなく、社会現象であることは当然分かっていることである。
社会現象においては、宇宙の中における自然現象の場合のように、事柄が正規分布≠示すことはない。
すなわち、事柄が統計上きれいなUカ−ブやベル・カーブを描くような、ノーマルな分布状態を示すことはない。せいぜい1〜2割程度のものが−ごくわずかなものが−、すべての結果の8〜9割までを左右する。逆に、大部分の事柄がそこでの結果の10%、あるいはそれ以下のことを左右するとも言えるのである。
こうした現象は、市場経済にも十分当てはまる。数万人といる顧客のうち、ごくごく一握りの顧客が大量の注文を行い、数百個もある製品系列の中の、極めてわずかな製品のみを大量に生産している。同じような事柄が市場においても、製品の最終的な用途についても、また製品の流通経路についても当てはまる。
さらに、販売においても同じことが言える。数万人のセールスマンのうち、ごく少数のものだけが新しい需要の4分の1、あるいはそれ以上を新規開拓する。工場においても少数の製品が、結局は総生産量の大部分を占めるのである。同じことは研究開発についても言える。ほんのごくわずかの研究員が、あらゆる重要な革新活動を行うのが常である。
このことは前回も触れたように、様々な企業現象についても言える。顧客から寄せられる苦情の大部分は、ごくわずかの一部の従業員や一部の人間から生じるのが普通である。高年齢の未婚の女子従業員とか、夜勤の清掃担当者の例を、ドラッカーは挙げている。さらに、欠勤、転退職、あるいは提案制度によるサジェスチョン、事故などについても同じようなことが言える。万事、このように不平等なのだ。
しかし、企業の経営管理については、以上述べたような正規分布≠ノ拠らない社会現象としての特徴があることを、十分理解している経営者が少ないのが残念であると、ドラッカーは指摘する。これは成果の90%までが最初の10%の要因によって形成されており、逆にコストの90%までは、残りの成果をもたらさない90%の事象によって増やされているということである。
すなわち、やや難しく言うならば、コストもまた社会現象≠フ1つであると、ドラッカーが指摘していることに注目したい。
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