ドラッカー名言録8
「知識は消え去りやすい」
世はあげて知識社会、知識労働者、知識管理の時代となったが、そもそも、この問題にいち早く着眼したのはドラッカーである。すでに1959年に刊行された『変貌する産業社会』において、「経済学者の“資本”の本義に“知識”が含まれるということはほとんどない。しかし、今日では知識だけが真の資本なのである」と喝破している。
そして、その知識に関しても、『創造する経営者』の中で、「知識は消え去りやすいものである。したがって始終、再確認(リコンファーム)し、学び直し(リラーン)、習練(プラクティス)し直さなければならない」と知識の本質を衝いている。さらに同書の別の個所でも、「知識が知識であるためには、進歩しなければならない」と述べている。知識そのものが最も腐りやすいこと、したがって絶えずリニューアルすべきことについては、三年前に博士をカリフォルニア州のフェアモントのご自宅に訪れたときにも、「知識をラーン(学習)し、リラーン(再学習)し、アンラーン(脱学習)することが知識管理の大前提である」と強調していた。
特に、最後のアンラーン(unlearn)すなわち「学ぶ捨てる、学びはずす」“離脱学習”の重要性について、口を酸っぱくして説いていたのが印象深く残っている。
さらに、ひと昔前になるが、15年ほど前のセミナーで、知識労働について極めて興味深い指摘をしていたのを思い出す。
「小林君、知識労働というのは、肉体労働や筋肉労働や、いわゆる物づくりと違って、外からはその営みが見えない。したがって量で測ることもできない。ある社員が外見的にボーッとしているのを見ると、肉体労働的には、当人は全く何もしていないし、組織に対してはなんらの貢献もしていないように思える。
しかし、仮にその人間が、明日から生産性を二倍にする妙案やシステムを考え抜いていて、その発表の直前だとしよう。となると、そのアイデアが実現すれば、その組織生産性は極めて高いものとなるので、彼の知識労働の価値は大きいと言えるんだ……」と話してくれた。
したがって、『経営者の条件』においても、「知識労働の価値は量で測定するものではない。また、それはそのコストで決まるものでもない。知識労働は、実はその結果、つまりその効果によって決定されるものなのである」とコメントしている。
そして、『断絶の時代』においては、知識と人間に関してさらに省察を深め、「現代社会は新しい知識をつくり出す“偉大な人間”とともに、新しい知識を毎日の活動に転換し得る“職人”も同様に必要とする」という鋭い指摘をしている。
ドラッカーはまた、技能を伴わないような知識は非生産的であると断じ、技能のベースとして知識が活用されてはじめて知識は生産的なものになる、とすら言い切っている。しかも、知識と情報とは同義語ではなく、情報が、あることを行なうために実際に用いられてこそ、はじめて知識となるとも言っている。
だから知識とは、情報を特定の仕事の達成に応用する能力であるから、人間、すなわち人間の頭脳や技能によって発現するという重要な指摘を行なっていることを付け加えておこう。
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